自殺私見

自殺私見
教育学部3年 伊藤拓也


何度自ら命を絶ってみようと思ったことか。自殺なんて簡単にできる。部屋の窓から飛び降りれば簡単に死ねるのだから。

私は別に人は自殺をしても構わないと思っている。自分の人生、死のうが生きようがその人の自由だと思うからだ。しかし、ただひとつ「人に迷惑を掛けてはいけない」という条件を満たせばだ。その人が死ぬのは自由だが、それで生き残る人に苦痛を与えてはならないと思う。

例えば電車への飛び込み自殺だ。聞くところによると、電車への飛込みをして、電車を止めてしまった場合、運休による損害賠償などを遺族が払わなければいけないそうだ。自分が死ぬことによって家族に多額の金を負担させるなどもってのほかの行為だ。
また、「僕は死にましぇ〜ん」のように、トラックに引かれるというのも、トラック運転手にとっては多大なる迷惑だ。これからの運転のトラウマになるかもしれないし、下手をすればわき見運転と間違われ刑事事件にも発展するかもしれない。自分の自殺によって赤の他人の人生を狂わせてはならない。

トラウマ、という点で言えば、自殺した姿を人に見せるのはよくない(警察など、職務上の人はしょうがない)。ビルから飛び降りる瞬間、または落ちた後の姿を見たら、他人にとってむごいトラウマとなるだろう。ましてや子どもにそんな姿をみせようものなら、その子は一生心の傷を持ち続けるかもしれない。部屋で死んだとしても、家族・友だち。大家さんなど第一発見者の心の傷を考えないといけない。それがあるので私は窓からの飛び降りができないのだ。


しかしそれを考えると、死んだ姿を見る見ないに関わらず、自殺というのは少なからず周囲に心の傷を負わすものである。例え仲の良くなかった人であっても、クラスメートや同じ大学の人が自殺をしたとなると心が痛むだろう。ましてや友人や家族の悲しみは計り知れない。私は自殺したくなるときには必ず、友人の「なんで相談せんかったんや!」と泣きながら怒る姿が思い浮かぶ。家族が、息子を遠く北海道へ一人暮らしさせたことを悔やむ姿が思い浮かぶ。そんな周りの人がいるからこそ私は自殺ができない。

たとえ今が辛くても、自分は独りだと思っても、周りにはこんなに悲しんでくれる人がいる。そう思えば自殺せずに今を頑張ろうと思えるのである。