課題作文「徹底・自己分析」

「戦争」はまだ書いていません。というか何を書いていいやらさっぱり思いつきません。すいません。
 先に「徹底・自己分析」について書くことにします。(一応)就職活動中の僕にとってはなかなか身近な存在なものなので。上に書いたことに関連するんですけど、この作文の「自己紹介」の目的をどういったものにしようか迷ったんですけど、テーマとして「面接では言えない自己分析」といったものをしてみようかと思います。


 
 僕の性格を表す言葉を考えてみる。たくさんあるが、その中でかなり核心をついた言葉のひとつに「飽きっぽい」というのがある。昨年まで日記は2日以上続いたことはなかったし(2004年1月1日から書き始めた日記は5日間続いた!)、読書をやろう、筋力トレーニングをやろう、英語の勉強をしよう、漢字検定を受けよう、などと思っても1週間、いや3日と続いた試しがないのである。しかし節目節目にはそれを忘れて「今度こそは続けよう」となぜか自信満々に思ってしまうのである。例えば2004年の目標として、上に書いた日記や読書などを毎日続けようと思ったし、毎学期ごとに出もしないのにたくさん授業を履修してしまうのである。特に今学期(三年生後期)は酷かった。「残り半分の大学生活を有意義に過ごさねば」と思って、授業も、再履修の英語も、生協学生委員会も、就職活動も頑張ろうと夏に誓った。しかし結局は学部の授業はゼミ以外出ていないし、英語も危なくて留年しかけているし、単位にならないのに自主的に取った「編集者という仕事」は半分も出席しなかった。就職活動も年が明けるまで何もしてこなかった。

 勉強にすぐに飽きる、友達に飽きる、サークルに飽きる、彼女に飽きる、自主ゼミに飽きる、遊ぶことに飽きる、自分のしなければいけないことに飽きる、大学生活に飽きる。僕は今まで多くのことに飽きてきた。その中で飽きてしまった結果放棄してしまったものもあるが、結局ダラダラと続けてしまっているものがほとんどだ。まぁ、勉強は手放せないものとしても、学生委員会も3年生の終わりまで続けてきたし、この自主ゼミにも在籍している。

 しかし僕はなかなか放棄できない。別に勉強しないんなら漢字検定なんて受けなければいいじゃないか。でも僕はまた「漢字の勉強をしよう」と思ってしまう。なぜか。それは中途半端な「向上心」があるからだ。漢字ができるようになりたい、英語が話せるようになりたい、痩せたい、自分の知識を増やしたい。「それをやったら自分にプラスになるかも」という向上心があるからこそやめられない。しかし飽きっぽいから続かない。僕の人生はこれの繰り返しだ。

 もちろんそんな自分が好きなわけはない。しかしこれと言って大きな損をしているわけではないので結局こんな生活を続けてしまう。だが、自分ひとりだけの問題で済まないこともある。自分の中途半端さのために他人に迷惑を掛けてばかりなのも事実だ。他人に迷惑を掛けるのならいっそのこと辞めてしまったほうがいい。しかし、「続けてればなんとかなるかも」と思ってしまう自分もいる。この「自制心のなさ」、「反省をしないこと」、そして「飽きっぽさ」を改善しないことには僕は他人に迷惑を掛け続けることになるだろう。そして他人の信頼を取り戻すことは不可能だろう。






 愚痴のような、反省文のような、とにかく読んでいて楽しくもない文章です。
 「○○、○○、○○、」と並列の表現をたくさん使うことは僕の癖ですね。これが続くとそれこそ「飽きる」文章になってしまいます。あと、この文章は逆説が多すぎますね。こんなふうにわかっていても直せないのが僕です。「自分のことをけっこう冷静に分析できてはいるが、その分析結果を自分のステップアップに活かせない」というのが僕自身の自己分析ですかね。今回の作文はそれをさらに気付かせてくれたものでした。