「僕」のこだわり

 僕のこだわりは何だろうかと一週間考えた。そしてひとつだけ思いついた。このこだわりは当然のように僕の一部になっていて、こだわっていることさえも忘れているものだった。


 僕のこだわり。それは自分のことを「僕」と呼ぶことだ。


 小さい頃はみんな当然のように自分のことを「僕」と呼んでいた。僕も当然のように「僕」と呼んでいた。しかし、中学二年生のある日、周りが「オレ」だらけになっていることに気がついた。その当時クラスで「僕」と呼んでいるのは5人もいなかったように記憶している(もちろん授業の発表などでは「僕」と呼ぶ人もいたが)。高校に入るとさらに「オレ」は増加し、クラスで僕ひとりしか「僕」と呼んでいないことを知って驚いたこともあった。大学に入った今でもクラスやサークルの友達を見ると、ほとんどが「オレ」と呼んでいる(とはいうものの、大学は多種多様?な人がいるせいか、高校よりも「僕」やそれ以外の呼び方が多い気がする。特にこの『編集会議』はそうだ)。


 なぜ男は自分のことを「オレ」と呼ぶのだろう。小さい頃はみな「僕」なのに(幼稚園くらいで「オレ」と呼ぶ奴もたまにいるが)。この疑問に関して、中学の時に僕が出した答えは『カッコいい男の自覚』だ。小学校高学年から中学校にかけて、まさに「僕」から「オレ」へと変化していく人たちを何人も見てきた。それが意味するものは『「僕」なんて子どもっぽい言い方をやめて、男らしい「オレ」になりたい』というキモチの変化だったのではないか。すなわち、「僕」=まだまだ子ども、「オレ」=カッコいい大人の仲間入り、という観念の下に、みな呼び方を変えていくのだというふうに僕は結論づけたのだ。


 僕自身は「僕」から抜け出せなかった。カッコいい大人にはなれなかったのだ。高校のときにクラス替えがある度に「オレ」になろうと試みた。でも結局「オレ」と呼ぶ自分が恥ずかしくて「オレ」にはなれなかった。そして僕は思った。『「オレ」と呼べるだけの男になろう』と。呼び方から入る男ではなく、本当に「オレ」と呼んでも恥じないような男になってから呼び方を変えようと思ったのだ。


 しかし未だに僕は「僕」から抜け出せない。この呼び方に慣れすぎてしまってもう変えようという気もあまり起こらないのだが、やはりまだ自分は「子ども=僕」なのだ。「オレ」と呼ぶには恐れ多い−、このような気持ちが常について回るのだ。それは僕の「大人」というものに対する執着が現れているのかもしてない。カッコいい大人になりたい、ならなきゃ、この考えが僕にはまとわりついている。呼び方にも、生活にも。そう、自分の中での本当のこだわりは「理想の大人になる」ということなのかもしれない。





−あとがき−
 「僕」=まだまだ子ども、「オレ」=カッコいい大人の仲間入り、という考え方は、昔女友達に何人か話して共感してもらえました。でも男の人に話したことがないので、みなさんどう思うんですかね?意見ください。
 ちなみにこの編集会議のメンバーは、うぬまさん・editorsさん・高橋さん→オレ、田村さん・劉さん・古賀先生→僕、酒出さん→私、でしたっけ? 同じ呼び方でも「ぼく」「ボク」「僕」でこだわる人いますよね。僕は大学1年までは「ぼく」だったんだけど2年から「僕」に昇格しました。